笑顔に罪は無い
「Hungry Spider」 槇原敬之




PVが面白いなぁ。白背景の明るく広い空間と、ミラーボールの回る暗い赤い部屋。女の子と距離を置いて椅子に腰掛け、優しげな人を装い紙芝居をしてみせる一方で、心の中では「さあ来いさあ来い罠に掛かれ」と手招きしている。紙芝居で懐柔したかな、と思って満足げに微笑み椅子を立って歩み寄った途端に、女の子の持っていた銃で脳天を撃ち抜かれる。女の子はそう甘くないんだぜ。最後は「やだなーそんなことする訳ないじゃん」と、紙芝居を持ってにやり。おい、お前いつ生き返ったんだ。

顔芸が凄いよね。紙芝居の内容にどきどきはらはらする純粋な女の子の演技も、赤い部屋での顔を歪めるような笑顔も、白い空間での一見優しげなようで胡散臭さ溢れる笑顔も。持って生まれた顔立ち(切れ長の細い目)のせいも多少はあるんだろうけど、本当に胡散臭いんだよ!

ドラッグをやっていた頃のPVだからそれっぽい影響が見えるね、なんてコメントが某動画サイトには載っていたけど、素面の頭でも考え付くことのできる演出だと思う。それっぽい、というのはミラーボールの場面のエフェクトかな。このPVが作られた当時としては珍しかったのか?


哀愁を誘うメロディーがキャッチー。大きい括りではポップスなんだけど、サウダージとかそっち系寄り。何系っていうのかは知らない。アコーディオンが似合う。南欧のバラッドの流れ?


歌詞はロマンチックで男性的。木村カエラの「ワニと小鳥」と構造は似ているけど、オチが逆。腹減り蜘蛛さんが、可愛い蝶々を大切に思う気持ちで本能をねじ伏せるお話。叶わぬ恋の相手である蝶々が巣に掛かってしまい、結局食べずに逃がしたよ。ロマンチックなのは本能に愛が勝つところで、男性的なのは相手の生殺与奪が完全に自分に委ねられた状況を想定するところ。そこまで一方的な状況って、多分あんまり無いよね。
私は、こういう自己犠牲はさほど美しいとも思わない。別に醜くもないし、行為自体はベジタリアン的な意味では麗しいんだけど。まあ蜘蛛は蝶々を逃がすことで自分の蝶々への思いを守った訳だから、自己満足の世界だよね。

この歌詞のミソは、蜘蛛の恋が「叶わぬ恋」であること。蜘蛛同士、蝶々同士なら、普通に愛を育めばいい。でも蜘蛛と蝶々は捕食者と被捕食者の関係にあるし、別の種類の生き物だから愛を育む術もない。だから、蜘蛛が蝶々に恋をしても「相手を大切に思う」ことしかできない。(そしてだからこそ、蝶々が巣に掛かったときにいっそ「叶わないならこの恋を捨てて」食べちゃえ☆と逡巡する)切ないとすれば、ここ。据え膳を食べなかった自己犠牲ではなく。

御伽話だから、どこまでがメタファーでどこからが物語のための演出なのかの境界線には色々な引き方がありうる。だから解釈次第で、この歌詞が何の暗喩なのかは変わってくる。私としては、蜘蛛=男性、蝶々=女性、食欲=性欲、「恋」=性欲を伴わない真実の愛、辺りが穏当な解釈かなと思った(ヘテロセクシャルで図式化すれば、ね)。蜘蛛の巣(=女性をひきつける魅力)で蝶々(女性)を捕まえていたんだけど、うっかり「あの子」に純愛を抱いてしまった、と。肉体関係を持つことが真実の愛を阻害するんだ!という中学生みたいな前提が必要になっちゃって陳腐ではあるんだけど。


そんな切ないロマンチックな歌詞が、PVでは「紙芝居の内容」に過ぎないところが何より面白いと思うんだ。紙芝居が「蜘蛛の巣」で、PVのストーリー自体が歌詞の内容を反映した入れ子構造になっているようで、PVの方には変なオチがついている。そして印象に残る胡散臭い笑顔。
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by navet_merci | 2008-10-30 18:25 | 音楽雑感
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