メタファーの楽しみ
「アゲハ蝶」 ポルノグラフィティ
(一時公開していた日記記事からのリサイクル)



ポルノグラフィティの『アゲハ蝶』を聞いて、「世の果てでは空と海が混じる」という歌詞に気付いた。以前聞きかじったランボーの『永遠』(の冒頭部)に似ていて、歌手って凄いなーランボーなんて読むんだなーと感心したけれど、後で確認してみたら『永遠』でまぐわっているのは空と海ではなくて太陽と海だった。勘違い!でも、歌詞の解釈をするのは楽しい。

叶うことのない想いを、「終わらせることはできる」けど「終わりなどない」旅に喩えている。「旅の終わり」=「目的地に着いた時」だから、つまり「終わらせることはできる」=「諦めることはできる」けれど「終わりなどない」=「願いが叶うことはない」ということ。そして、「夢で会えるだけで良かったのに愛されたいと願ってしまった」その時に、「世の果てでは空と海が混じる」。彼は目的地に辿り着くことができないのだから、「世の果て」は行き着くことのできない到着地、すなわち彼の願いが成就する場所のこと。空と海が混じることなんてありえないのだけれど、そして「世の果て」なんてどうやっても行き着くことのできないただの水平線なのだけれど、そこを目指す彼は、空と海が一緒になっている様子(=願いが叶った状態)を思い描くことができる。

最初ぴんと来なかったのが、アゲハ蝶の位置付け。想い人かなとも思ったけど、そうじゃないんだね。アゲハ蝶の羽は「世の果てにも似た」色を含んではいるけれど、「世の果て」自体ではない。アゲハ蝶は「荒野に咲く」もので、アゲハ蝶が舞うその先に「近づくことのできないオアシス」が見える。彼に見えるのは、オアシスの幻。アゲハ蝶がいるのだから、そこには植物があって、とすれば近くにオアシスがあるはずで、だから渇きを癒すことくらいは期待できるはずなのに、空と海の混じる「世の果て」どころか、近くに存在するはずのオアシスにすら辿り着けない。結局、アゲハ蝶はオアシスの象徴なのだと思う。アゲハ蝶はオアシスがあるよという希望をもたらしてくれるもので、彼の目指す「世の果て」をそれとなく匂わせるものでもある。(オアシスと「世の果て」は水という共通項があるよね、とまで言うとこじつけすぎ?)

最後に彼は「冷たい水」を乞うたり「できたら愛してください」と願ったりしているけれど、これ、誰にだ?アゲハ蝶に話しかけているとしか思えないけど、ちょっと危ない人になってしまうよ。どこかで解釈を間違えたんだ!

と、こんな感じ。
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by navet_merci | 2007-11-03 21:18 | 音楽雑感
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