小説口語
「行くわよ」を始めとする死語的な女言葉




例えば「Let's go.」を意味する言葉を発する場合において、多くの人は「行こう」とか「行くぞ」と言うのであって、「行くぜ」とか「行くわよ」といった言い方を現実にする人は殆どいない。にも拘らず、文字で書かれたフィクションの中においては後者の「行くぜ」や「行くわよ」が「口語」としてごく普通に用いられている。小説とか、漫画とか、アニメとか、ヘタをすると脚本のあるドラマや劇とか。「行くわよ」という表現が実際に口語として用いられることは殆ど無いはずなのに、「行くわよ」は(それなりに子供向けの)フィクションの登場人物に独特の「癖のある口調」としてではなく、ごく一般的な「普通の女性の口調」として用いられる。(「行くぜ」については、割とフィクショナルなキャラクターに付随するという側面もそれなりにあるようだけれど)

何なんだろうなぁ、これ。元々はれっきとした口語だったものが、現実の口語は変化してもう使われなくなったのにフィクション創作の場においてのみ変化せずに、というよりもむしろ一種の定型表現と化して生き残ってしまったとか?

確かに、芥川賞を取ったとある女性作家の小説を読んでいると、十年以上前に書かれた作品では「行くわよ」的な「女言葉」が目に付くんだけれど最近の作品ではそういう違和感が殆ど無い。どちらも「現代もの」なのに、である。勿論、とある直木賞作家の作品に登場する女性は今でも「行くわよ」的な喋り方をし続けているし、とある女性ライトノベル作家の作品では「行くわよ」語が飛び交っている。でも、全体としては減少傾向にある気がする。とすれば、やっぱり口語自体が変化していて、ただその変化が文学作品における口語に反映されるまでに若干のタイムラグがあるということなのかもしれない。

三島由紀夫の作品に登場する令嬢の口調は彼が実際に接した女性達の話し方をそれなりに忠実に再現したものなのだろうけれど、そんな「わたくしも聞いたことよ」なんて喋り方が廃れた後も、小説の登場人物たちはしばらくの間は「わたくしも~したことよ」と言い続けたのではなかろうか。(そういえば、「~だぜ」って言い方も昭和の文豪の作品では口語扱いだよね)

そして、「行くわよ」的な女性言葉って、特に注釈をつけることなくそれを使っている人が女性であることを表現できて便利だから定型化されやすくて、だからこそ廃れにくいのかもしれない。実際、「行くわよ」語がよく使われるのって、ライトノベルや漫画のようなある種定型化されたキャラクターが登場するフィクションだよね。ドラマや映画なんかでもよく出くわして物凄い違和感を覚えるけど、そんな風に日常語としては相当の違和感があるにも拘らず未だに使われているのってやっぱり便利だからだと思う。(そういえば、小学校の授業で教科書に載っている物語の続きを書かされた時に、特に深く考えずに女主人公に「行くわよ」語を喋らせていた気がする)

そう遠くない将来、日本人は「~するわよ」みたいな表現に対して、現代の日本人が「わたくし~してよ」という表現に接した時の様な昔らしさを感じるようになるのかなぁ。「行くわよ」語の使用者はたおやかで楚々とした女性ばかりではないけれど(涼宮ハルヒさんとかね)、それでもこの女性独特の表現に女性の優しさ・柔らかさのようなものを感じ取って、憧憬を抱いてみたりするんだろうか。
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by navet_merci | 2010-01-21 08:44 | 言い回しとか
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