記憶のあれこれ
『目撃証言』エリザベス・ロフタス、キャサリン・ケッチャム





心理学が人間の記憶を扱うとき、まず最初に出てくるのが二つの異なるモデルらしい。一つは「静的」なモデル。記憶と言うのは頭(というか心?)のどこかに溜まっていくもので、人はデータベースを参照するようにしてものを「思い出す」。データベースのどこかに入っている特定の記憶を取り出すことができなくなることはあっても、記憶自体は傷ついたり変形したり磨耗したりすることなく貯蔵されているという考え方。もう一つは、「動的」なモデル。記憶はナマモノのように劣化しやすい。物に触れれば指紋が付き力を入れれば変形するように、記憶は思い出される度にその人の思考や精神状態の影響を受けて変質する。

最近の支配的な考え方(というかもう通説なのかな)は、後者の動的なモデルらしい。言われてみれば成程ね、とそれなりに納得して終わりになるお話だ。でも、この動的な記憶観からすると非っ常によろしくないことをやっている世界がある。刑事司法の領域だ。

刑事司法の実務においては、犯罪の目撃者の証言はかなりの重きを持って扱われている。目撃者の証言だけを証拠として、有罪が宣告されることもある。でも、目撃者の記憶だって壊れやすいし、その変質して事実とは異なる記憶に基づく証言によって冤罪になる人もいるのではないか―そう思えてくる。

『目撃証言』は、そのような問題意識から書かれた「心理学的ノンフィクション」だ。記憶を扱う心理学者エリザベス・ロフタスは、犯罪目撃者の記憶がいかにいい加減なものかを、心理学的な説明を交えつつ主張する。ただし、どちらかというと「ノンフィクション」の色彩が強くて、彼女が専門家証人として関った(怪しげな目撃証言がキーとなるような)様々な事件とその裁判の記録、と言った方が良いのかもしれない。

扱われている事件の殆どは、証言以外の物証は乏しかったり確定的でなかったりはたまた被告人の無罪を示していたり(!)して、でも「こいつがやった!」とか「私が見たのはこの人です!」なんて言い張る怪しげな証人がいるというもの。「ほら目撃証言の絶対視は危険なのよ!」と読者にアピールすることを目的に書かれた本なのかな、と思ってしまう。学者としての立場がそっち側で、かつ一般読者の心をつかむような事件を選べばそういう事件ばかりになってしまう、というのもあるんだろうけど…。そうはいっても、「記憶の維持にはいろいろなものがコミットするのよ」的なことを言いつつ維持を助けるような要因とかメカニズムとかについての説明が無かったのは、ちょっと残念。

目撃者の記憶は事後的に損なわれやすく、特に日本の刑事実務は、警察が「こいつが犯人だ」と思っている人を「見た」と目撃者に思い込ませやすいのだそうだ。怖いな、と思う反面、もし「記憶は変質する」という考え方が実は正しくないのだとしたら、それはそれで怖い。例えばロフタスのように心理学者が「この目撃証言は信用できない」と言うことによって犯人が無罪になる可能性があるし、実は目撃者の記憶を蘇らせるのに役立っていたことを「そんなことしたら記憶が壊れる!」と言ってやめさせることにもなる訳だから。変質すると考える方が通説らしいけれど、きっと私が理解したような大まかな二分論ではなくて、もっと精緻な議論がされているんだろうな。


記憶の問題を離れた感想が一つ。

『目撃証言』には、ロフタスが法廷で目撃者の記憶の確実性に疑問を提示すると、被害者や検察側から「犯人を弁護するのか!」的な攻撃を受けた、という記述が幾つかあった。でも、いくら被告人が検察によって起訴されているからって、検察がその人を犯人と思っているだけで、しかも検察の主張のキーとなる目撃証言が怪しいよって言われた訳でしょう?だったら、「じゃあこの被告人は潔白で、真犯人はどこかでのうのうとしている可能性がある」って考えるのべきなんじゃないのかな??(目撃証言は怪しい、という主張が正しいことが前提になるけど)
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by navet_merci | 2007-11-06 01:14 | 本の感想
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